著者:マルクス・ガブリエル/清水一浩 (翻訳)
出版社:講談社
「世界は存在しない」が、世界以外のすべてのものは存在している―――
世界とは、すべてを包摂する領域であり、対象ないし物の総体でもでもなければ、事実の総体でもない。世界とは、すべての領域の領域にほかならない(中略)世界のそとにはなにも存在しません。世界のそとにあると考えられるものも、そう考えられるものとして世界のなかに存在しています(『なぜ世界は存在しないのか』より引用)。
また、著者は「存在すること=世界の中に現れること」ではなく、「存在すること=何らかの意味の場(※①)に現れること」であると定義しています。
※① 存在論的な基本単位(草原にいる一頭のサイについて考えた時、このサイは確かに存在していますが、このサイが草原に立っているという状態、すなわち、草原という意味の場に属している状態を前提にサイが確かに「存在している」と定義する)
世界は、世界のなかに現れてはこない―――世界が存在するためには、世界が存在するための意味の場が必要となり、仮に存在するのであれば、世界はすべてを包摂するはずなので、世界が現れる意味の場はまた更に大きな世界の中になければならないことになります。つまり、世界は存在しない。世界のことを世界の外から俯瞰して見ることや考えることはできないと同時に、世界を一つの原理(唯物論からなる物理的な物やその過程)で説明することもできないと主張しています。一方で、世界は存在しないという原則には、それ以外のすべてのものは存在しているということが含意されています。国や企業、夢、思想、心、感情、進化、素粒子、月面に住む一角獣さえもが存在すると著者は述べています。
「世界が存在しない」ことは、私たちの自由の源泉である―――
著者は、この新しい実在論を通じて、どのような科学も世界それ自体を明らかにすることはないとして、自然科学(多くが物理学)だけが客観的であり、万物の尺度であると主張する「科学主義」を強く批判しています。「一つの世界像」は理論的に成り立つことはなく、また、行き過ぎた科学的世界像は、人権や自由、平等といった民主主義を支える価値体系を信じようとしないニヒリズム(※②)の傾向を強めてしまうと危惧しています。こうした危機と岐路(クライシス)に直面している私たちには、世界のすべてを科学主義的に捉えるのではなく、「何でも解き明かせる」という誤解から自然科学を守り、普遍的なヒューマニズムを追求するという新しい哲学的立場が求められています。
※② 真理や価値を否定する考え方
新しい時代における哲学の役割―――
「世界は存在しない」という哲学的立場は、私たちに無数の連続する小さな世界(意味の場)が存在していることを示してくれます。私たちが認識したり変化させたりすることのできる意味が、尽きることなく存在している。つまり、意味とは、自由であると同時に決して逃れることのできない無限ともいえる「運命」に他ならないのかもしれません。また、あらゆるものが存在しているからといって、あらゆるものが良いということではなく、必要のない苦しみや不幸が存在することも事実です。だからこそ、私たちは新しい哲学を通じて、無理やり統合しようとする統一性を克服するためにも、自分という存在を正しく再構築し、人の同一性や多様性を受け入れ、共に歩みを続けなければならないのです。
著者は、本書を通じて、人類や精神の進歩が可能であることをポジティブに捉えつつ、新しい時代における哲学の役割を普遍的理性を媒介にしながら詳しく述べています。なぜ、一角獣が存在したり、宇宙は世界よりも小さいのか、そして、知性とは何なのか―――そんな話にご興味のある方は是非本書を手に取って頂けたら嬉しく思います。
ありがとうございました。
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