慈愛と蘇民将来(そみんしょうらい)

京都祇園祭の宵山期間には、八坂神社や各山鉾において「蘇民将来之子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」と書かれた厄除粽(ちまき)が販売されます。祇園祭は、京都を襲う天変地異や主に疫病の病魔退散を祈願したことが始まりとされていますが、八坂神社のお祭りとして約 1100 年の歴史を誇り、今年はコロナ禍を経て 3 年ぶりに山鉾巡行が実施されたことでも話題となりました。

厄除けのご利益がある蘇民将来の護符は、備後国風土記(びんごのくにふどき/現広島県東部)に残されている素戔嗚(スサノオ/日本神話における英雄)信仰とともに伝承され、疫病から都や民を守護する目的の名残として現在でも日本各地で大切に受け継がれています。

「備後国風土記逸文(奈良時代に編纂)の要約」
その昔、武塔神(むとうしん/牛頭天王/厄神)と呼ばれていた神様は、旅の途中で日が暮れたため、宿を求めて将来という二人の兄弟を訪ねました。弟の巨端将来(こたん)は裕福であったが貸すのを惜しんでそれを断り、兄の蘇民将来(そみん)は貧しいながらも精一杯のおもてなしをしたところ、恩義を感じた武塔神は再び蘇民の一族のもとを訪れ、『私は速須佐雄(はやすさのを/スサノオ/日本神話の英雄)の神なり。後の世に疫病が流行すれば、蘇民将来の子孫と言い、茅の輪を腰に着けておけば免(まぬか)れさせる。』と約束してくれました。その後、茅の輪をつけていない巨端の一族全員が疫病で滅んだとされています。

※牛頭天王は本来インド祇園精舎の守護神とされているが、日本では祇園社に祭られ、平安時代以降にスサノオと習合(同一視)されたと考えられている。

この茅の輪が、祇園祭のちまき(厄除粽)の起源と言われています。ほかにも、旧約聖書「出エジプト記」が起源とされている説もあります。ユダヤ教の記念日であるペサハ(英 Passover/過ぎ越し)は、エジプトで奴隷だったユダヤ人がモーゼに導かれてエジプトを脱出し、自由の民になったことを祝うお祭りです。「出エジプト記」にもまた、十の度重なる災害や疫病の話が登場していることや、扉に印がない家にその災いをもたらすと伝えていることからも、前述の逸文と重なる点が挙げられます。

どちらが正しい起源なのかといったことは不明ですが、逸文における巨端は「(煩悩としての)自愛」を表し、蘇民は「慈愛」を表していると考えることができます。「慈愛」とは、困っている人や苦しんでいる人を放っておけない、助けてあげたいという心を表現した言葉です。医療や介護の現場、災害時のボランティアなどでもそうした慈愛に満ちた優しい方々を見かけることがあります。そしてまた、コロナ禍を経て分散化している社会の中では、薄れつつあるこうした慈愛の心がこれからの社会を復元していくとても大きな原動力となるにちがいありません。

自愛から慈愛へ、心の在り方がよりしっかりとすれば、おのずと守られる。
私たちは蘇民将来の子孫なのですから―――

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